神戸事件少年A検事供述書
[これと同内容のものが文藝春秋1998年3月号に「少年A 犯罪の全貌」と題して掲載された。以下は、改行を大幅に略したほかは、ほぼ原文の表現をとどめてある]
[○付き数字は文字化けするので、「まる1」「まる2」のように表記した]
供述調書1
平成九年七月五日付
本籍 ×××× 住居 神戸市須磨区×××× 職業 T中学校三年生 電話 ( ) 局 番 氏名 ×××× 昭和××年×月×日生(一四歳) 〔右の者に対する殺人・死体遺棄被疑事件につき、平成九年七月五日兵庫県須磨警察署において、本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述する必要がない旨を告げて取り調べたところ、任意次のとおり供述した。〕
一 前回に続いて話します。前回話したように、僕は、人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために、平成九年五月二四日の昼過ぎ頃、僕の自転車であるママチャリに乗って、自宅を出ました。そして、××の町内を約一○分位ブラブラしながら、自転車を走らせました。その後、僕は、T小学校の北側を東西に走っている道路の北側の歩道を、東から西に自転車を走らせていました。すると、T小学校の北側の道路の北側の歩道上を、僕とは反対に、西から東に、一人で歩いてくるB君を見付けたのです。
二 ここで、僕とB君との関係について、まず話します。僕が、B君という名前を知ったのは、はっきりした時期は覚えていませんが、僕が、T小学校の五年生頃ではなかったかと思います。同じT小学校の中に、身体障害者のための「なかよし学級」というのがあったのですが、そのなかよし学級にB君という子供がいるということを知りました。ただ、その当時は、B君の顔までは認識していなかったと思います。ところが、いつ頃かだったかまでははっきり覚えていませんが、その後、B君が僕の家に遊びに来るようになりました。僕とB君が、知り合ったからという訳ではありませんでしたが、僕の一番下の弟である××がB君とT小学校で同級生だったことから、B君は、××と遊ぶために僕の家に来るようになったのです。B君が、僕の家に遊びに来た時などには、B君は、僕の家の庭で飼っていたカメに興味を示しており、カメが好きなのだと分かりました。そのカメは、弟が飼っていたので、僕自身、そのカメがどうなったのかまでは知りませんが、その後気付いた時にはいなくなっていました。また、僕自身、中学二年の夏頃、道で拾ってきたカメを庭の水槽で飼っています。なお、B君が最後に僕の家に来たのが、いつ頃であったかまでははっきり覚えていませんが、B君としても、僕が××のお兄ちゃんであるということは知っていたと思います。この様に、僕自身、B君と親しく話したということはなかったものの、僕の家に遊びに来ていたことから、B君が現在T小学校の六年生だということも知っていました。
三 このB君を平成九年五月二四日昼過ぎ頃、T小学校の北側の道路の北側の歩道上で、偶然見付けたのです。それで、僕は、咄瑳に「B君を殺そう」と思い、B君の方へ近付いて行きました。B君の方へ近付いて行きながら、僕は、B君を殺す場所を考えたのですが、その時、頭に浮かんだのが、僕達が普段呼んでいる「タンク山」でした。しかも、「タンク山」の頂上付近にあるケーブルテレビアンテナ施設のところならば、人に見られることもないし、僕自身も良く知っていたので、そこでB君を殺そうと考えました。
四 B君と、地図の「まる2」付近で接触した僕は、すぐに自転車を降りました。前回話したように、僕は、この日人を殺す方法として絞殺、すなわち、首を手で絞めて殺してみたいという気持ちがあったので、素手でB君の首を絞めると、B君の首に僕の指紋が付くと、僕の犯行だと分かると思ったので手袋を素早くはめました。この日、僕が着ていた服装ですが、下はジーパンで、上はトレーナーを着ていました。ただ、どんなトレーナーだったかまでは覚えていません。靴は白の運動靴で、紐が付いているものでした。B君の服装は、どんな服を着ていたのかは、はっきり覚えていません。ただ、下は半ズボンでした。ジーパンのポケットに入れていた黄緑色で、内側にゴムの滑り止めが付いている手袋を両手にはめました。そして、僕は、B君に対し「向こうの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう」と言いました。それに対し、B君は、何も言いませんでしたが、ただ、ニコニコ笑っていました。僕は、自転車を押しながら、その歩道をT小学校の方へ行き掛けると、B君も一緒に付いて来ました。B君は、嫌がる様子もなく、素直に付いて来たので、僕が、B君の身体に手を触れたということはありません。B君も、僕が××(=弟)のお兄ちゃんだと知っていたし、B君が好きなカメの話をしたので付いて来たのだと思います。
五 「タンク山」下の「チョコレート階段」の所まで来た僕は、そこで自転車を停め、「チョコレート階段」を登り始めました。地図に黒く書いてあるのが、その「チョコレート階段」です。分かり易いように、地図に赤のボールペンで、「チョコレートかいだん」と書きました。
六 僕は、B君を連れて「タンク山」山頂付近にあるケーブルテレビアンテナ施設の入口前付近まで来ました。ここで、B君を殺そうと考えていた僕は、B君の真後ろからいきなり僕の右腕をB君の首に巻き付け、巻き付けた右手の手首付近を僕の左手の肘付近に巻き付けて、力一杯B君の首を絞め上げました。なお、僕の利き腕は、右手です。この様にして、B君の後ろからB君の首を絞め付けたのですが、B君は、叫び声と泣き声の中間みたいな大きな声を出し、手をバタバタさせました。僕は、このままでは到底B君を殺せそうにないと思いましたので、B君を倒して絞め上げれば、殺せるのではないかと思い、そのままの状態で、B君を前に倒し、僕もB君に覆い被さって、なおもB君の首を絞め付けました。それでもB君は死ななかったので、僕は、B君の首を絞め付けたまま、更にB君の腰付近に馬乗りになり、B君の首を絞めている僕の腕を、B君がエビ反りになるような感じで持ち上げて絞め付けました。しかし、B君は、なかなか死なず、同時にB君の首を絞め付けている僕の腕も疲れてきました。そのため、僕は、今度はB君を仰向けにし、B君の腹の上に馬乗りになって、両手でB君の首を力任せに絞め付けたのです。でも、B君は死にませんでした。その内、B君の首を絞め付けている僕の両腕の上腕部付近が張ってきて、筋肉痛みたいな感じがありました。B君の首を絞め付けている僕の両手を首から外すと、B君が大声を出すことは分かっていたので、僕は、ナイフでB君を殺そうと思い、右手でB君の首を絞め付けながら、左手で僕がはいていたジーパンのポケットを探しました。この時、初めて僕は、ナイフを持ってきていなかったことに気付きました。ナイフがないと分かった僕は、すぐ横の土の崖みたいな所を見ると、そこに土に埋まっている石があるのに気付きました。そこで僕は、その石で、B君の頭を叩き割って殺そうと考え、右手でB君の首を絞め付けながら、左手でその石を待とうとしました。ところが、この石は土の中から一部しか出ておらず、土の中に埋まった状態であり、左手で取ろうとしたものの、土の中から動かすことが出来ませんでした。石でB君を殺せないと分かった僕は、ふと足元を見ると、B君に馬乗りになっている僕の左足が目に人りました。そこで今度は、左足の靴の紐で、B君を絞め殺そうと思ったのです。僕は、右手でB君の首を絞め付けながら、左手で僕が履いている左足の運動靴の紐を少しずつ解いていきました。靴紐を靴から解き終わると、僕は、その靴紐を地面に置いて、左手で輪っかを作りました。その輪っかは、一重で、強く引けば結び目が出来るようにしたのです。口では説明し難いので、靴紐で輪っかを作った状況を絵に描きました。
七 B君を殺した僕は、ケーブルテレビアンテナ施設の桟かフェンスのどちらかに付けた靴紐を解き、その靴紐はジーパンのポケットに入れました。ところが、B君を殺したものの、B君の死体をどうしようかと考えたのです。そのままケーブルテレビアンテナ施設の出入口前に死体を放置しておくと、すぐに死体が発見されてしまうと思ったのです。僕は、B君の死体は、発見されないに越したことはないし、発見されるにしても、できるだけ発見を遅らせたいと思いました。死体が、発見された段階で、警察の捜査が始まると思ったからでした。B君は重いので、その死体は、あまり遠くへは運べないと思い、その場で辺りを見回したところ、ケーブルテレビアンテナ施設の中の鉄の建物を見ると、その床下の周りに草が生えていて、フェンスの外からだと、床下が見え難いことが分かりました。この鉄の建物の床下だと、B君の死体は見付からないだろうと思いました。それで、その床下に死体を隠そうと思ったのですが、その施設の入口には、南京錠が掛かっていたため、その施設の中に入ることが出来ませんでした。僕は、咄嗟にその南京錠を壊して、B君の死体を施設の中に運び込み、鉄の建物の床下に隠せばいいと考えたのです。そのため、南京錠を壊す道具として「糸ノコギリ」を準備しようと思いました。同時に、南京錠を壊しただけでは不審に思われることから、壊した後に新たな南京錠を付け替えておけば、大きさは多少違っていても、同じ形の南京錠であれば、気付かれないだろうと思いました。
八 この様に考えた僕は、すぐにB君の死体はそのままにして、「タンク山」を降りました。降りた道順は、登ってきた道順と同じでした。「チョコレート階段」の下に停めていたママチャリに乗り、どの道を通ったかまでははっきり覚えていませんが、「L」まで行きました。
九 まず僕は、万引きしてきた糸ノコギリで、施設の入口に取り付けてある南京錠のツルの部分を切りました。一分位で切れたと思います。南京錠を切った後、施設の入口の前にあるB君の死体を、頭の方から両手をB君の脇の下に入れ、上半身を浮かして、下半身は地面に付けたような感じで、B君の死体を後ろ向きに引きずって、施設の中に入れました。ところが、鉄の建物と施設の入口との間にアンテナが置いてあったため、B君の死体を鉄の建物の床下に入れるには、そのアンテナが邪魔になりました。そこで、一旦アンテナの手前でB君の死体を置き、そのアンテナを向かって右の方にずらしました。そして、僕は、B君の死体を同じように持って、引きずって鉄の建物の向かって左側の溝の方まで行き、そこから床下にB君の死体を蹴り込むような感じで押し込みました。押し込んだ後、鉄の建物付近にB君が履いていた運動靴が一個落ちているのに気付いたので、その靴を拾い上げて、B君の死体の側に置きました。
一○ B君の死体をその鉄の建物の床下に隠した僕は、アンテナを元に戻して、施設の外に出ました。そして、万引きしていた南京錠のうち、一つを施設の出入口のフェンスに掛けて、「タンク山」を降りたのです。この日、僕は、友達である××××君、××××君とV(ビデオショップ)の前で、午後四時に待ち合わせをしていました。そのため、「L」から万引きしてきていた糸ノコギリを腹のところに入れて持って行くとかさばりますし、××君達に疑われる可能性があったので、糸ノコギリはB君の死体を隠したすぐ側の溝の落ち葉の下に隠しました。ツルを切った南京錠は、ジーパンのポケットに入れて持っていました。また、万引きした二個の南京錠の内、付け替えるのに使った残りの南京錠及び付け替えた南京錠の鍵等も、多分持って帰ったと思います。午後四時に、××君達と待ち合わせていたのですが、B君を殺した時点で、Vへ行っていたならば、午後四時には十分間に合っていたのですが、B君を殺した後に死体を隠すために、「L」に行ったり、実際に死体を隠したりしたため、時間が掛かり、××君達との待ち合わせ場所であるVへ着いたのは、その日の午後四時二五分から三○分頃の間でした。その後、××君達と遊んだ後、その日の午後六時過ぎ頃に、僕は家に帰ったのです。その後のことは、後日申し上げます。
××××(署名・拇印)
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